2007年1月24日

友人が今日抜糸

年賀状を自筆で書いてきた友人(F氏)のことで、夕方、別の仲間N氏からメールがあった。
F氏が後遺症で1月17日に入院。手術をして、今日抜糸したようだという内容。

実は、友人は11月に階段から落ちて顔を打ったそうで、その後なんともなく年を越したそうである。だからF氏からの年賀状は自筆だったのもうなずける。
ところが、17日の入院は顔を打った後遺症による慢性硬膜下血腫という病気のためというのである。どんな病気か調べていないが、後遺症というのは2ヶ月もしてから、それも顔面打撲から脳に来たというのだから予測もできないことだったらしい。
メールしてきた仲間も、年齢を意識しての健康を気にしていた。もっとも彼自身胃がんでかなり痛めつけられてきた男だから無理もない。私も今は健康だがいつ何が起こるか分からない。
F氏は、責任感の強い男だから、抜糸してすくに職場に復帰するのだろうが心配である。
彼が勤める国会は、明日開会である。

(F氏は、衆議院事務局勤務である。)

年 賀 状

10年以上前になるが2年くらいブログを書いていた。たまたまPCの片隅に残されていたブログにあった年賀状についての一文からこのサイトができた

返信文

札幌の友人からの年賀状

2007年1月10日

年賀状の駆け引き

毎年のことであるけれど、出さない相手から年賀状が届くことが多い。昨年は来なかったからと出さないと来たり、市内の人には出さないと宣言しているのに来たり、頂戴した以上出さないと良心が痛むんですね、これが。出したのに来ないと、来年は出さないやと思ったり、つい性悪なところがちらちら出ることもありますね。

不思議に今年は、年賀状の交換がもうかれこれ十数年も途絶えている友人(N氏)からきたのには驚いた。
彼の住所は昔のまま。彷徨の旅を終えてきたのか気になった。賀状の電話番号に連絡してみたら、クラブやバーを2,3軒もってたけど、胃がんで店をたたんだと。病気だったらしょうがないけれど、店を経営しているときには年賀状を出せなかったのかと問うと、女やなんか色々あったし、かみさんと別れて京都大学を卒業した娘も近寄らへんさかい、まっいずれなんとかなるやろとケロッとして話すのは昔のままだった。
行方知れずの友人が戻って、学生時代の仲間が揃ったので、6月に定年を迎える友人のF氏の退職後早めに皆で集まろうということになった。

最近、電子年賀状が増えてきたそうな。扱っているサイトに、年賀状の時期になったらお知らせメルを送付してもらうサービスもあるから忘れることもない。便利であることこの上ないが、団塊の世代の一人としては、やはり「年賀ハガキ」を頂きたいのだ。何故だろう。手書きの一言が欲しいのだ。手垢かな?やはりその人の存在を年賀はがきに求めてしまう。
一言のない年賀状には、来年は出さないと思っているが、どうなることやら。

(蛇足) 今日は2018年1月15日。貴の花部屋の貴の岩が日本相撲協会に本場所休場のための診断書を提出したが、確かF氏と同じ硬膜化血腫の可能性だった。F氏は顔を打撲して2カ月後に血腫で手術とした。貴の岩が3カ月は血腫の可能性があるので休場という話は、そんなにかかるのかと少し疑問を感じた諸氏もいると思うが、友人の例を考えると十分可能性のある診断書だと受け止める必要があると思った。


上のブログに出てくるN氏は、毎年年賀状のほかにメールをくれる。
元日のメールがあった後の24日にもメールが来た。その内容はF氏の病気のことだった。
そのことを書いたのが右のブログである。

本棚を整理していたら年賀状が出てきた。不思議なことに、23年前(平成6年1月1日)のものだけである。
当時はまだ現役だったので枚数は多かったが、現在ではかなり少なくなっている。23年で彼らがどうなっているか、そこにはいろいろな物語があったはずである。つぶさに思い起こしてみたい。まずは、平成6年と平成30年の年賀状の差出人の住所と私との関係も含めて集計したのが次の表である。
今から11年前のブログに大学時代の友人のことを書いた下の一文がある。dion.ne.jpだからKDDIのブログだろう。
右の年賀状の宛名面の消印は、札幌中央26 2.17 18-24 となっていた。平成26年2月17日に札幌中央局から投函されていることを示している。どうして2ヶ月以上遅れて年賀状を送ってきたのか。それだけ遅れたら私は年賀状としては出さない。そこに何らかの事情があったに違いないと思った。まさにミステリーを残したままの年賀状だなと。
彼からは、前年(平成25年)の夏、横浜から生まれ故郷の札幌に戻ってきたという葉書をもらっていたので、久しぶりに札幌に行きたいと返信していたが、残念ながらその年は行けなかった。
もう一つ、年賀状の裏面に「新めて On!」と書き込みがある。どうしても私にはその意味が分からないまま時間が過ぎていった。「新めて」は「あらためて」とは読まない。なぜなら改めてと解した場合、繰り返してと解釈することになるが、この年賀状を見た限りにおいては繰り返しと考えるられる余地はない。そもそも「新めて」という言葉はない。では2ヶ月遅れたけれど改めて新年に当たってスイッチを入れようと、「!」で意気込みを強調したのか。
同年11月に彼の姉二人から連名で年賀欠礼のハガキを頂戴した。そこで初めて彼の訃報を知った。そこで、故人に失礼だと思ったが、「新めて On!」が彼から私へのメッセージだったとしたら、その意味を知ることが彼への供養になるのではないか。
私は早速、彼の二人の姉のうち、現在札幌市在住のお姉さんの方に手紙を書いた。
年賀状のコピーを同封し年賀状が元旦ではなく2月に着いたことに関連し、闘病生活はどうだったのか。「新めて On!」とは、どういうことなのか。学年が一つ上だったので、生年月日は?と。この3点についてご存知の範囲で教えてくださいと。
お姉さんの返信の文面を見て涙が止まらなかった。内容については、私が説明するよりも、返信文のほうがよりリアルで彼の姿も反映されている表現も多いので、載せておいた。

平成30年 青森市内 青森市外の県内 北海道 岩手県 宮城県 山形県 福島県 埼玉県 千葉県 長野県 神奈川県 東京都 静岡県 山梨県 愛知県 福井県 滋賀県 島根県 山口県
匡関係
県関係 15 18
市町村
マスコミ
親戚 11
高校同期
小中同期
大学同期 1
教師
友人 11
知人
25 12 66
平成6年と単純に数だけで比較すると平成30年には22人減っている。年賀状というのは、年齢を重ねる毎に新しく書く年賀状は少なくなってくる。
一方で、お互い書いたら、ずーっと長く続くのも年賀状の特徴だ。毎年、「今年こそ会おう!」なんて、何回書いたか分からない(笑)
上の平成6年の年賀状を頂戴した人のうちで、現時点で16人が亡くなっている。
内容は、親戚が6人、市町村1人、高校同期1人、教師1人、職場の上司2人、知人4人、友人1人である。県内の亡くなった人は地元紙でわかるが、県外となると、格別に友人ノートとかに書いておかないと家族が知るすべはない。そんなとき、年賀状を見て連絡することになる場合がおおいのではないか。
年賀状のやり取りをしている人の中にも、忘れられないエピソードがある人も多い。何人かご紹介したい。
平成6年 青森市内 青森市外の県内 北海道 岩手県 宮城県 山形県 福島県 埼玉県 千葉県 長野県 神奈川県 東京都 静岡県 山梨県 愛知県 福井県 滋賀県 島根県 熊本県
匡関係
県関係 16 21
市町村
マスコミ
親戚 16
高校同期
小中同期
大学同期
教師
友人 16
知人
40 19 88
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