2019年のねぶた最高賞である「ねぶた大賞」は2年連続で竹浪比呂央作の菱友会が受賞した
 
題が長い。
 『紀朝雄の一首 千方を誅す』 でした。


子供の頃、征夷大将軍 坂上田村麻呂が蝦夷征伐のとき、少ない兵を多く見せるため、ねぶたを作り騒いで敵を欺いたのがねぶたの起源だとよく聞かされたことがある。しかし「ねぶた」の由来あるいは起源は、青森ねぶたのオフィシャルサイト( https://www.nebuta.or.jp/know/ )を見ても、実のところ明確な拠り所となる文献などもないまま、七夕の時期に行われる行事として定着している。ねぶた祭期間(8月2日から7日まで)最終日の7日(なぬかび)にねぶたを船に乗せ海上を運行するのは、灯篭を川に流す精霊流しと同じだと解釈する人もいる。
また、弘前ねぷた・・・弘前は「ねぷた」と呼ぶが、「ぶ」と「ぷ」の違いも分からないし、弘前ねぷたは凱旋で、青森ねぶたは戦に行くときのものととの話もある。しかし、囃子を比べると、弘前のヤーヤドーに比べてラッセラーラッセラーセッセラッセラッセラーの方が戦果を得た喜びが伝わってくると思うのだが。このように話すのは大体青森ねぶた贔屓の人だ(笑)。
 「ねぶた」を「何か」の理由で慣習として根付かせ、また「何か」のための効果を考え「誰か」が始めた。ねぶたの出陣と戻りのリズムの太鼓と横笛に合わせ、『ラッセラー、ラッセラー、ラッセ、ラッセ、ラッセラー』というお囃子と独特の「跳ねる」という踊り、突き詰めて考えると分からないことも多い。ただよく言われるのは、ねぶた祭は、青森の長い冬からの解放感を爆発させる祭ですと聞きます。とにかくダイナミックな祭りであることは間違いない。
 半世紀前には、町内会や消防団などのねぶたが、運行ルートのルールもなく動き回り、子供たちの参加も非常に多かった。そんな当時のことに思いを馳せる高齢の方たちは、昔、沿道にシートを敷いて自由にねぶた鑑賞した市民のためのねぶたの頃を想い、現在の料金の高い桟敷でないとゆったりとねぶたを観れない観光客優先の運営に不満をもつ者もいる。
 それはさておき、現在では日本三大祭りと言われるように、青森市の最も大きな観光資源となり、県内各地はもとより、日本各地そして海外でも運行することが多くなっている。青森ねぶたが広く知名度が高くなることで、本場の青森ねぶた祭を観たいという人が多くなるというのは大歓迎。
 
ここでは、出陣したねぶたを紹介するに留め余計な論争には組しない。ちょっとばかり囃子や歌も紹介しているので、楽しんでもらいたい。

サムネイルをクリックすると画面を拡大して表示されます。

▼2019年に参加したねぶたのスライドショーです。

http://www.nebuta.or.jp/archive/nebuta/2018/.html

青森ねぶた祭

毎年8月2日から7日まで行われる青森ねぶた祭りに出陣したねぶたを紹介しています。

8月1日の前夜祭当日、昼と夜ねぶた小屋で撮ったものですがテントがかかっているねぶたは、もちろん写していません

▼撮影したのが2018.8.1の前夜祭でしたので、ねぶた大賞の大きな額がこの画像にはありません。

ねぶたの解説は

をご覧ください。

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