広い空間が用意されており、避難場所の看板
がある。周りの施設や住家を見ると、道の駅は
村の中心部にあるコミュニティー広場だ。

体育館のようにも見えるが中の構造は分からない。
入り口のところに経済産業省主催の製品安全
セミナーと書いた立て看板があった。

道の駅の入り口にある案内

道の駅『かみこあに』

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道の駅『五城目』

道の駅『象潟』

道の駅『にしめ』

tabi1

 

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1500kmの過酷な旅

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(10259:40から2922:00)


道の駅『岩城』

「かみこあに」に15分ほどいて、南下を続ける。間もなく遠くから見ると「こけし」かなと思えるモ
ニュメントらしきものが見えてきた。近くに来たら大きな看板が建っている。道の駅「五城目」であ
る。近くに藤原末盛の居城とされた五城目城があるそうだ。藤原氏はのちに五城目氏を称す
ることになったそうだから、そこに五城目という地名の由来があるのだろう。
二棟が繋がっている店舗に入ってみると、「かみこあに」とはうって違って地場の商品が米をはじめと
して、名産品の木苺の最中や手作りの工芸品などがずらり並んでいる。買うか迷うものがあった
が、結局買わずに別棟へ。そこは特に変哲のないレストランだった。外のトイレに行く途中何やら
工事。店舗拡張の準備だそうである。時間を見ると13時30分だ。20分いたことになる。
結構時間をかけていたことになる。青森を発ってから4時間だ。暗くなるまでに、どこまで行ける
のやら。ここから日本海方面に向かい国道7号と合流、八郎潟を右に見て秋田道と並行して
南下する。日本海を右に軽快な運転だ。あきた港を過ぎて200kmほど行くと道の駅「岩城
が見えてきた。ここは広い駐車場とすぐ裏手に広がる日本海が見渡せ素晴らしいシチュエ
ーションを与えてくれる。夏は混みあうだろう。中に入ってみたが、時間が気になって早めに出た。
30分ほどしたら、また道の駅が現れた。
次から次と道の駅が現れる。多い。道の駅「にしめ」だ。
◇冬が訪れる前に
もうじき冬を迎える鉛色の空が濃さを増してきた晩秋の朝、青森から国道7号を南に向かった。燃えるようなイロハモミジも散り際を惜しむように風に吹かれ舞っている。南へ行くのに伴い季節を
遡ると思っていたが、未だ枝にしがみついている紅黄の葉が多いものの、朝夕の例年にない冷気で確実に冬が近づいていることを実感する。今年の冬は早くなるだろう。
 来年4月4日には母が亡くなって40年が経つ。仏教であれば年忌法要があるように、神道では年祭という行事を行う。祭祀のルールからすれば、亡くなって10年を超す時から10年ごと
に行われ50年で一区切り(次は100年祭)となる。仏教では三回忌以降は数え年で行うが、神道では経過年数、なわち実年数で計算する。
我が家の神道では、10年未満には毎10日祭・50日合祀祭のほか、100日祭があり、次いで満5年まで毎年、10年・15年・20年・30年・40年そして50年と執行する。
10年刻みなのに15年祭がある理由を私は知らない。50年を過ぎると50年毎に行われる。1千年を過ぎると100年毎になる。気の遠くなる話ではあるが、私の代で慰霊祭というこの行
事ができるのはせいぜい50年祭までだろう。母は昭和52年に58歳で亡くなったので、私が古希を迎える今年で40年になる。あと10年して50年(年号が変わらなければ平成37
年)が最後の年祭になるのである。親が早く亡くなれば50年祭まではできるが、昨今のように平均寿命が延びて80、90歳となると50年祭はおろか10年祭、15年祭も執行できなくな
るという皮肉なことにもなりかねない。結局子供・孫の代に委ねることになる。最近のように子供が結婚しない子供を儲けないということになると「代々」という文字はやがて消えてしまう。いや、その
前に子供達も霊祭を執行できる環境にあるかどうかも分からない。  
話を戻すが、これまでは霊祭を自宅で行ってきた。10年後に私が元気であれば、最後の50年祭は京都にある神道の本部に祭祀をお願いしたいと考えていた。しかし、10年後まで健康寿命
を維持できているかと言ったら自信がない。だから、健康なうちに祭祀をお願いに行けるのは今年の40年祭のお願いしかないと考えたのである。もちろん、40年祭は自宅で行うが、併せて綾
部市の本部で毎年の行事として行われている祭祀に母の慰霊をお願いすることとし、それも自分が直接赴いて手続きをするのが儀礼として適当だと考えたのである。これが、今回の旅の主な目
的であった。あらかじめ京都府亀岡市にある天恩郷という、窓口ともいうべきところに連絡したところ、管理者の方から、「年祭などの祭祀は綾部の本部で受け付けています。」ということだった。
◇旅のコースを決める
 思い立ったのは9月の終り頃だった。10月に入ってから二,三のコースを考えたものの、以前から自家用車で日本一周を計画していた中で、熊本地震や鳥取中部地震などによって旅行する
範囲を縮小するなどの中で先の計画が出てきたが、目的を絞ったことにより自ずとコースが決まっていった。日本海側から南下し敦賀から琵琶湖沿いに彦根、草津を経由し京都市内に入り綾部
市へ向かい、帰りは京都から大阪・名古屋・静岡・東京・埼玉・栃木・福島・宮城・岩手・青森の約1週間程度とした。 国道を中心に健康ランド・スーパー銭湯・オートキャンプ場、それに道の
駅や高速のSA、ビジネスホテルを調べた。キャンピングカーだったらたいして苦労はないのだが、電車 と違って不案内の場所では余程詳細な説明がないと勝手が違う。
 日本海側の高速道路と言えば、秋田道(秋田自動車道)、日東道(日本海東北自動車道)、北陸道(北陸自動車道)である。秋田道は東北道から日本海方面に入り、男鹿半島の手前に
広がる大規模干拓地で名を馳せた大潟村の東側を南方に進み、秋田市を通過した後、河辺JCTから内陸に入り、岩手県の北上JCTで東北道に接続する。河辺JCTは新潟中央JCTを起
点とする日東道の終点となるが、その間には一般国道だが自動車専用道路(青森では津軽道・下北道)が斑状に高速道路を繋いでいる箇所が未だに残っている。北陸道は、新潟中央JCTが
始点で富山、石川、そして滋賀県米原JCTを終点とし全通している。やはり政治力というべきか。整備新幹線もそうだった。
 このように、日本海側は太平洋側に比べて整備が遅れている。北陸道のほかは内陸に入り込んだり、奥羽山脈を越えて東北道のアクセス道路になっている。それでも、本州は弓型にカーブして
いるので、一般国道で見ると近江方面、京都辺りまでは国道7号を南下し、日本海沿いに行けば高速道ほどではないとしてもルートは分かり易くしかも意外と距離を最短にとれるのだ。
 そのような理由から、行きは日本海側は一般国道を基本として、新潟までは国道7号、新潟から京都までは国道8号、京都からは国道1号を経て国道9号でJR山陰本線に並行するよ
うに北進し、途中から国道178号(私が所有するロードマップにはない路線だ。綾部の事務方から聞いた路線である。)で綾部市の本部まで行く。
帰路は、同じ道路を京都市に向かい、京都から国道1号に乗りそのまま東京に向かう。東京からは川口JCTから東北道に乗り青森までというコースとした。国道1号も自動車専用道路と思わ
れる区間が多いようだ。このコースに沿って友人・知人に会えたらいいなと考えた。ただ、はじめての関西方面も含めた自家用車の旅なので予定時間を想定することは難しい。だから、事前に彼ら
に連絡をしないことにし、彼らの土地を通過するときに彼らがいたら有難いという程度にした。ただ、連絡を取っていた彦根市の夏原は別として、名古屋の服部と川口の高橋にはどうにか会いたい。
11月に入ってから車で京都までとなると、秋田県の山越えなど雪とあの肌を刺す日本海の寒風を覚悟のうえで行く以外ない。日本海を操業する船は荒波にも耐えられる大型船に限られ、小
型船は海に出すことに 制約が強くなるのもこの時期からだ。もうすでに寒冷のシベリア高気圧が日本海に張り出し、平年よりも早く冬将軍がやってくると予想されていた。いつ行くのかは、とりあえず
ペンディングにして、観光も入れて妻に誘いをかけたが、その頃には歯科診療のスケジュールがしっかりとカレンダーを埋めていた。
10月第5週、今しかないというギリギリまで待っての出発であった。出発に先立って妻から頼まれた小包を預かり、ホームに入所している高橋氏に届けてから、出発したのは10月25日の
午前9時40分であった。
◇国道7号を南下
 さて、いつも走り慣れた国道7号。トロンサウナのファンなので碇ヶ関村(現平川市)「津軽関の庄温泉」や共同浴場「ゆ」(ここは新しく、「関の庄」よりもかなり広く新しい。)によく行っている。
碇ヶ関を青森から1時間30分位で通過し、秋田県大館市を過ぎてから国道7号から鷹ノ巣の手前を国道105号に入る。そこから15キロほど行くと道路が二股に分岐している。
日本海側へと右の国道285号選んだ。途中で道の駅「かみこあに」で休憩。かみこあにの入り口の案内板のすぐ裏に休憩所がある。中に入ると右に飲料の自販機が2台置かれていた。
広い休憩所に私一人だ。見回すと広報誌やポスターなどが壁を占め、平屋の休憩所にはやや細長い机がスクールスタイルで整然と並べられている。その中に設置されている自販機で
PREMIAM BOSS (150円)を飲んだ。 「かみこあに」とは、村の名前である上小阿仁をひらがな書きにしたものだ。10月1日の推計人口が2284人と、秋田県で最も人口の
少ない村で県の中央部に位置する。マタギが移動・定着を繰り返して集落が形成されたと言われている。ここは道の駅だが、レストランはあるが地場産品の直売所も見当たらないので、村民の
コミュニティー機能を融合させた施設や公園を連想する集合空間となっている。広くとった芝生の色が鮮やかで、十分といっても良い程度に刈り取りがされている。
イタリアのピサで見たピサの斜塔やドゥオーモを取り囲む芝を思い出した。
ここは地場産品の売り場がかなりのスペースを占めていることがわかった。関心はあるがパスした。
雨脚が早くなってきたので、一応車の中から窓を下げて写真撮影。時間もタイトになり早めに車を
動かした。15キロほどで道の駅「象潟」(さきかた)に着いた。ますます雨が強くなってきた。次の
1枚の写真しかない。もちろん解説もない。きさかたと読めなかった(笑)
 ここで今日の泊りをどこにしようか考えたが、海岸沿いをを走ってきたが宿泊施設は現在のところ
全くない。で、計画時点で見つけた山形県鶴岡市にある「こまぎ」というスーパー銭湯(実際行っ
たらスーパー銭湯じゃなく、日帰り銭湯だったんだけれど)に向かい、そこで考えることにしてすぐに発
った。 この土砂降りの中初めて走る道路は、どの程度走ればどの辺まで行くかは全く見当がつか
ない。
◇酒田に入る
 夕方5時過ぎに酒田市に入ったが前方が見えないほどの土砂降りで方向感覚まで鈍っている。
ワイパーを全開しているのでかなりの勢いで左右に振れている。行く方角が分からず、メインストリ
ートとも思える街区に入ってから、たまたま見つけたツルハドラッグ(山形県にもあるんだと思いつつ)
の駐車場に入った。やはり悪天候の上土地勘がないという与条件のもとではナビがあっても気持
ちの余裕がなくなるものだと思った。進行方向わからない。
とりあえず中に入って、飲み物とチョコレート(明治ミルクチョコレート)と厚いポテトチップを買った。

秋田杉で造られたとするテーブルが並べられている休憩所

国道7号からUターンする形で入る。

城郭放浪記(様)の下記サイトをご覧ください。
http://www.hb.pei.jp/shiro/dewa/gojyome-jyo/thumb/

近くの城には遺構がほとんど残っていないことから、
模擬的に天守が建てられている。下記サイトの写真
を見る限り中々美しい。ここの駐車場はかなり広い。

道の駅らしく地場産品がたくさん販売紹介されている。
中でも木苺の最中はおいしそうだった。

入ると広い駐車場とテーマパークのような建物に
驚いた。

食事スペースが多い。地元の野菜や魚は地理的な
意味も含めて少なかった。季節柄の割にはソフトクリ
ームを食べている人が多かった

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